Web Novel
魚住さんから聞いた話2 統計処理
「君に会う前だから、もう6、7年は前になるのか」
と、魚住さんは話し始めた。
* * *
この町に引っ越してきたころ、大学の中を見て回るのが面白くて、キャンパスを毎日ひとりで散歩してたの。
散歩っていうか、うろうろしてるっていうか。
大学の構内すっごく広いし、雑木林で囲まれてるからまわりの家とかも見えないでしょう。歩いてるとなんだか、森の中にこの大学だけがあるみたいで。
そういう「どこか別の場所にいるみたいな感じ」が好きだった。
で、その日も……確か5月の上旬くらいだったと思うけど……そんなふうに散歩してたのね。
どのへんだったかなあ……平塚のミニストップから北にのぼった、用水路と大学の間にある林だったと思う。なんて言ったっけあれ。「緩衝帯」みたいな名前の林。大学が管理してるやつ。
そうそう、そこ。鉄塔が並んでるところ。
用水路が防災研の方まで流れてるでしょう。その水路から、道路挟んだ大学側。
がさがさ歩いてたら、いきなり小屋があったの、林の中に。
小屋っていうよりは倉庫かな。ほんとに小さいやつだよ。人が2、3人も入ればいっぱいになるくらいの。
でもびっくりするくらい頑丈なつくりになってて、壁も屋根もコンクリートだった。表面はボロボロで、かなり昔から建ってるのは分かった。
曇りガラスの小さな窓が1つだけついてて、窓ガラスには鉄線が格子状に入ってた。
離れて見たら公園の公衆トイレみたいな感じかな。だから見つけたときは、最初はトイレかと思った。
でもドアはひとつだけで、しかも鍵がかかってた。
それが面白いんだけど後から取り付けた鍵でね。新しい、4桁のダイアル錠がぶら下がってた。
……なんでそんな細かいことまで憶えてるのかっていうと、ま、これから説明するわ。
それからも何度か、散歩のときにその倉庫に寄ることがあった。なんか気になって。
掃除用具とか入れてんのかなとも考えたけど、それにしちゃ建物がしっかりしすぎなんだよね。
さっき言ったダイアル錠だけが真新しかった。倉庫の古さと比べて釣り合わないくらいピカピカだったから、現役で使われてるのかなって思った。
でも倉庫に出入りする人を見たことはなかった。ていうか、その林の中で人に会ったことは一度もなかった。
そこで……いつだったか忘れたけど、思いついたんだ、倉庫がいまも使われてるのかどうか、確かめる方法。
そのときのダイアル錠の番号を、メモった。
そんで、何日たったらその番号が変わるのか、確かめようと思ったの。
もちろん、前回と同じ番号になることもありえるだろうけど、閉めるとき適当に手でぐるぐるって回したら、まあ、まず違う番号になるでしょう。
そしたら驚いた。
次の日行ったら、もう変わってた。ダイアル錠の番号が。
てことは、私が番号メモってから翌日見に来るまでの間に、誰かがカギを開けてまた閉めたってことだ。
その瞬間ひらめいたの。
そのときの番号を、またメモった。
んでそれから毎日その小屋に行って、毎日番号を記録していったの。メモしたり、写真撮ったり。
で部屋戻ってからエクセルに打ち込んでった。もちろん見に行けない日もあったよ。休みの日とか、単に忘れてたりとか。
それを……どれくらいだろう……半年くらい続けてたのかな。
なに、その目?
うん。今ならわかるけど、ちょっとおかしくなってたね私、そのときは。
その半年の間、倉庫を人が開けているところは一度も見なかった。それどころか、その倉庫の周りで誰かと会うこともなかった。
それなのに、行くたびに番号は変わっている。私がそこに行く時間もバラバラだったのに。
夕方見に行って、次の日朝早く見に行って、それでもう番号が違っていたときもあった。
たぶん、だからだね。
……えーとつまり、だから私は半年も続けちゃったんだろうって意味。今日は変わってるんだろうか、今日はどうだろうって。気になって。
番号の記録がちょっとたまってきたくらいで、4桁それぞれのヒストグラムを見てみた。
そしたらみごとにバラバラでね。まあ手で適当にグルグル回して閉めたらそうなるよなって思った。
でもその後もどんどんデータがたまっていくにつれて、ヒストグラムが少しずつ不思議な形になっていった。
そうだな、たとえばこんな形。
「5」だけがほぼゼロ回で、その隣の「6」がめっちゃ高い。
4桁のダイアル全部のヒストグラムでこういう傾向が見られた。
半年間観測し続けたから、平日だけだとしても……120日くらい?
鍵の番号は「0」~「9」の10種類だから、完全にランダムだとしたらそれぞれの番号が出現する確率は10%なんで、期待度数は約12で、10超えてるよね。
だから、ためしにカイ二乗検定してみたの。そしたらやっぱり帰無仮説は棄却された。有意水準いくつにしたか忘れたけど。5%だったかな。
それよりも興味深いのは、なんでヒストグラムがこんな形になるのかってこと。だいたい想像つかない?
ダイアル錠を閉めるときのこと考えてみてよ。人によってやり方違うと思うけど、まずは適当に回して番号をバラバラにするとして。
そのとき、適当に回したダイアルが偶然、正しい番号に合っちゃったらどうする?
いや、違う違う。全部じゃなくて、4桁のうちひとつだけとか。
ひとつでも番号が合ってたら、嫌な感じがする人もいるかもしれない。不安になるかもしれない。
そして、不安に思ったら人は……そのダイアルを「正しい番号」から、いっこずらす。
右回りか左回りか、どっち向きにずらすかは、その人の利き手とかクセによるだろう。
つまりこの場合なら、1桁目の正しい番号は、「5」だ。
当時の私はそういう仮説を立てた。
この仮説を確かめるにはどうすればいいか……。
まあ、悩んだ。だって犯罪だもん、要するに。
その仮説に気付いてから何日か経った後。
まだ迷ったまま、その小屋に行った。
もうすっかり秋になってて、足元は落ち葉でふわふわしてた。
でも常緑樹も多いから森の中は薄暗いままでね。枝越しに、中央機械室の高い煙突が見えてた。
いつもみたいに小屋のドアの前に立って、ダイアル錠を見た。
ついその「正しい番号」のところに目が行っちゃった。その番号をずっと、頭の中でつぶやきながら歩いてたからね。
そこで、ダイアルの上に変なものが見えた。
細く刻まれたダイアルの番号の上から、黒いペンで小さな字が書いてあった。私が考えていた「正しい番号」の上に。
1桁目に書いてある字は「み」と読めた。ひらがなの「み」。
思わず錠前を手に取ってた。
ダイアルは回さないで、錠前ごとひっくりかえして見た。そうしたら2桁目にも字があった。「正しい番号」のところに。
2桁目の文字は「て」だった。
3桁目と4桁目にも、同じように字が書いてあった。
私が予想した番号とまったく同じところに、ひらがなが1文字ずつ。
上から順番にそれを読んでみた。
「み」
「て」
「る」
「ぞ」
振り返って、辺りを見回した。
今の君よりびっくりしてたね。
薄暗い森の中はしんとしてて、私のほかには誰もいなかった。
その後? 逃げたよもちろん。バス通りまで一目散に。あんなに走ったのは久しぶりだったな。
そう、そのとおり。冷静になってみると、その字を書いた人もおかしい。
私に警告したいんだったら、普通にそのドアにでも張り紙しときゃいい。「通報します」とか。
それか、もし本当に「みてる」んなら、直接私に言えばいい。
なんで鍵に……しかも正しい番号のところに書いたのか? 単に、人をびっくりさせるのが趣味の暇な人なのか?
ひょっとしたら、本当に全部みられてたのかも知れないな、と思う。私が鍵の番号を記録してることも、記録して何に気付いたのかも。
そのことを……「こっちは分かってるぞ」ってことを……私に伝えるために、正しい番号のところにメッセージを書いたんじゃないだろうか。
私が予想してた「正しい番号」は、結局正しかったのかな?
その人に誘導されてたような気もするんだよね。
わざと番号の出現頻度に偏りを持たせて、私がそれを正しい番号だと思い込むようにして。
そう。100日以上かけて少しずつ。
いや、お互いさまだよ! こっちもそれを100日以上かけて調べてたんだから。どっちも同じくらいサイコパスだ(笑)。
あ、バスが来たね。
初出 2020/05/05 エアコミケ(コミックマーケット98)