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心霊動画
友人が高校のころ付き合っていた根津という先輩は、ひとことで言えば変な人だった。
幼なじみの友人に負けないくらい怪談やオカルトが好きで、
付き合うようになったきっかけも、
学校で流行っていた同じ怪談に2人が興味を持ったことだったらしい。
はっきり言って理解できない世界だ。
僕と友人が高校1年だったから、根津先輩が2年生だったころの冬。
ある日の放課後、
いつものように僕と友人、先輩の3人で教室に残り駄弁っていた。
普段はこの町にある心霊スポットとかの噂について話していることが多かったのだけれど、
その日は話題が心霊動画になった。
意外だったのは、
友人が心霊動画をあまり好きじゃないと言ったことだった。
「最近CGとか編集でリアルなの作れちゃうから、
心霊動画とか心霊写真って面白くないんだよ偽物ばっかりで」
すると先輩は友人に言い返す。
「でも、だからその中で本物を探すのは楽しいよ。
私はよく見るな。これ本物かなって考えながら」
その後で
「そうだ、こないだ面白い動画いっこ見つけたんだ」
と声を上げるとカバンからiPhoneを出した。
当時は僕も友人もガラケーだったので、
僕は「おおっ」と思って先輩の持つiPhoneを見つめた。
先輩は「どれだったっけ」と画面の上で指をすべらせる。
「『心霊動画』で検索して出てきたやつの中にあったと思うんだけど」
言って机の上に置いたので、僕と友人はそろってその画面を覗き込んだ。
YouTubeの真っ赤なロゴマークの下に、動画のサムネイルがずらりと並んでいる。
白黒画像の一部が赤い丸で囲まれていたり、
「閲覧注意」とでかいフォントで書かれていたり。
そんなおどろおどろしいサムネイルを指先でスクロールしながら先輩は
「あれ、無いな」と涼しい顔でつぶやいた。
「どんな動画なんですか?」
じれったそうに友人が横から尋ねると、先輩は画面から顔を上げた。
「……ええとね」
少し口ごもった後で、僕らを見つめる。
「みんな違うものが見えてるの。同じ動画なのに」
「はい?」
友人と僕はそろって聞き返してしまった。
「動画の下にコメントが付くんだけど、
こんなふうに」
話を続けながら、サムネイルのひとつに触れる。
『えー、今日は群馬県のこのトンネルに来ています』
iPhoneから飛び出した声が、放課後の静かな教室に響き渡った。
画面の中ではTシャツ姿の男が古びたトンネルの前に立って、なにやら解説を始めた。
しかし先輩はそれを無視して画面をスクロールさせる。
動画は上へと消えていき、見た人たちの感想が下からせり上がってきた。
|このシリーズでひさしぶりに怖い
|近所w
|2:05の右端にもなにか見えませんか?
といったような言葉が、様々なアイコンと一緒にいくつも縦に積み重なっている。
「私が見たやつだと、
ここのコメント欄に書いてることがみんなバラバラだった」
先輩は画面をさっきの検索結果一覧に戻した。
ぷつん、と男の声が途絶える。代わって先輩の静かな声が響く。
「鳥居の下に女が立ってるって書いてる人もいたし、
橋の上から道路を撮影してたら車が事故ったっていう人もいた。
それで、他の人がコメントしているようなシーンなんてどこにもないって、
そう、全員が書いてる」
先輩の声を聞きながら黙り込んでいた。本当にそんなのあるんだろうか。
もし本当だとしても、なんとかして別々の動画を再生するようにするとか、
そういう仕掛けが可能なんじゃないか。
「……先輩は、何が見えたんですか」
僕も気になっていた疑問を、友人の方が先に口に出した。
画面をなでていた根津先輩の指が止まる。
「それ言ったらつまんないよ」
うっすらと口の端を上げた。
「君たちが見たら、私が見たものも言うから。
このメンバーで答え合わせしよう」
ウエーブのかかった黒髪の向こうから、大きな瞳が僕らを見つめる。
「確か『心霊動画』だけじゃなくて、
もういっこ何かの言葉と一緒に検索したとき、出てきた気がするんだけど……」
言いながら天井の方に視線を向けた。
「え~~と」と低い声を長くのばしながら、つやつやした髪を指でいじっていたが、
少しして「思い出した」と顔を戻す。
「『心霊動画』と、 」
先輩が口にしたのは、この町の名前だった。
学校を出るともうすっかり暗くなっていたので、
友人は先輩をバス停まで送っていった。
寄り添って遠ざかっていく2人の影を眺めながら
心霊動画は好きなのに夜道は怖いってのも変な話だよな、とか僕は考えていた。
夕食のあと自分の部屋のパソコンで、先輩に言われたとおり検索してみた。
いくつもの動画が出てきたけれど、しかしそれらしいものは見あたらなかった。
というか検索結果が多すぎて、ページを進んでも進んでも終わらない。
検索に引っかかるそれらの動画を見ているだけで怖くて、
僕は早々にブラウザを閉じてしまった。
だってこの町にまつわる心霊動画ばっかり出てくるのだ
(そう検索してるんだから当たり前なのだが)。
この検索ワードで本当に合ってるのか。
明日もう一度、先輩に聞いてみよう。
そう考えていたとき、携帯に友人から電話がかかってきた。
「今日先輩が言ってた動画、見たか?」
電話に出たら、そういきなり言ってくる。
「いや、検索してはみたんだけど……」
「さっきみつけた」
言いかけていた最中に、友人の声がかぶる。
「今、見てる」
どきりとした。
本当にあったのか。見るたびに内容が変わるという動画が。
「ボロボロの建物の中を、誰かが歩きながら撮ってるみたいだな」
「誰かって、どんなやつ?」
「そんなん見えないよ! そいつがカメラ持ってんだから。
他に人も映ってないし……ていうか完全に廃墟だなこれ」
友人の説明だと、どうやら撮影者がたったひとりでカメラを持って、
無人の建物内をうろつき回っている映像らしい。
電話口の向こうで動画の実況をする友人の声を聞きながら、
鼓動がどんどん速くなっていく。
何も言えず僕はただ彼の説明に聞き入っていた。
「音声は無いなあ、
いや待て、足音みたいなのはしてるから、一応入ってるみたいだ。
こいつが喋ってないだけ……ん?」
急に友人の声が途切れたので、焦って呼びかける。
「どうした? 大丈夫?」
「……何か聞こえる」
背中がひやっとした。
「喋ってる……誰かが」
思わず「やめようよ」と僕は叫んでいた。
「やめた方がいいって、これ以上見るの」
「なにびびってんだ。ただの心霊動画だよ」
友人はまるで動じず、軽い調子で一笑に付す。
しかし、僕は嫌な予感がして仕方がなかった。
携帯を持っている手のひらがどんどん汗ばんでいくのを感じる。
普通、「心霊動画」というのは「心霊現象が映っている動画」のことだ。
でもこれは、今こいつが見ているものは、そんなんじゃない。
根津先輩の言っていたことを思い出す。
見る人によってそこに映っているものが変わる。鳥居。交通事故。
つまり、この動画そのものが心霊現象なんだ。
「聞こえるか?」
不意に友人が鋭い声で言ったかと思うと、ざらついたノイズが耳に飛び込んできた。
向こうで、携帯をパソコンのスピーカーに当てているんだ。一瞬遅れて理解する。
ノイズの中に、彼が言ったとおり話し声らしいものが混じっているのが分かった。
時折途切れながらも、いつまでもぼそぼそと喋っている。
そしてそれに重なる、
コトリ、コトリ、という硬いものを叩くような規則正しい音。
「……階段を昇ってる」
つぶやいた友人の声の方が遠く感じる。
聞かないほうがいい。
そう頭では思っているのに、僕は携帯を耳から離すことができなかった。
言葉の中身はまるで聞き取れない。
それでも集中していると、だんだん、
2人の人間が会話をしているようだということが分かってきた。
そうやってしばらくじっと息を潜めていたら、
不意に、全く違う甲高い音に鼓膜が震えた。
一瞬だけノイズの向こうから現れた「それ」は、またすぐに消えてしまった。
しかし間違いない。今確かに、小さな子供が楽しそうに笑っていた。
「シュウー、聞いてるー?」
大きな声がいきなり耳をつんざき、それまで微かな音を必死で聞こうとしていた僕は反動でびくっとしてしまった。
「シュウ、さっきから呼んでるでしょ」
「いま電話してんだって!」
「パソコンやってるじゃない」
友人とおばさんの声が、賑やかに電話の向こうを満たす。ゴト、ガサ、と鈍い音がした。携帯が机かどこかに置かれたようだ。言い争う2人の声が離れる。
思わずほっと息を吐いていた。まるで自分が、悪夢の中から現実の世界に戻ってきたような気分だった。そこで初めて耳たぶの痛みに気づく。今までずっと、握りしめた携帯を耳に押し当てていたのだ。
「んでなに?」
友人がおばさんに、うっとうしそうに尋ねるのが遠く聞こえてくる。
「電話があったの、ヒメちゃんから。あんた呼んだのに来ないんだもの」
「オレになんか言ってたの?」
ヒメちゃんというのは、友人の親戚の女の子だ。僕らよりも少し歳下で、小さかったころは夏休みとかに友人の家へよく来ていた。僕も何度か一緒に遊んだことがあった。
「ヒメちゃんが伝えてほしいって。『その話するのは今すぐやめて』って。どういうこと? あんたあの子にひどいことしたんじゃ――」
電話が切れた。
おばさんの声も友人の声も全てが消え、
僕は自分の部屋でひとり椅子に座っていた。
慌ててかけなおしてみたが何度かけても友人は電話に出ず、
とうとうその日は二度とつながらなかった。
翌朝、校門のところで友人に会ったので、僕はすぐに昨晩のことを尋ねた。
「昨日の夜、急に電話切れたけど何かあったの?」
しかし、それに対して友人は「別に、何も」としか答えようとしなかった。
なんだか正直に話したくないみたいで、彼がこんなふうに言いよどむなんて信じられなかった。
いつもは遠慮も恥じらいも無く、ずけずけと自分の言いたいことを言ってくるのに。
もっと信じられないことが昼休みにあった。
図書室で待ち合わせていた根津先輩と会ったとき、友人が
「昨日話してた動画、見つかりませんでした」
と言ったのだ。
「そう」
とだけ先輩はあっさりとこたえ、すぐにまた別のオカルト話を始めた。
彼もそれに相槌を打ち、心霊動画の話題はあっと言う間に消えてしまった。
昼休みが終わり、先輩と別れて教室に向かっている最中
「昨日の動画だけどなあ」
ぼそっと友人がもらした。
「あのあと、最後まで見たんだ」
重い口調で、何か心配事でもあるかのような顔だった。
「それで分かったんだよ、あの声の正体」
廊下の途中で立ち止まり、友人は硬い表情で僕を見る。
朝に会った時と同じように、言おうかどうしようか迷っているみたいだった。
しかし、やがて決心したように口を開く。
「あれは、子供のころのオレたちだった」
と、彼は言った。
初出 2017/12/29 コミックマーケット93